仙台高等裁判所 昭和32年(う)48号 判決
判決理由〔抄録〕
論旨は、道路交通取締法一八条の規定を引用して佐々木の車は狭い駅前通り(六・六三メートル)から広い仲町通り(九・八メートル)に入ろうとしたのであるから、当然一時停車または徐行して広い仲町通りに在る被告人の車に進路を譲らなければならないとし、被告人が佐々木の方でさような措置に出るものとしてそのまま進行したことは運転者の常識上当然のことであって、この場合被告人に原判示の注意を要求することは不可能であると主張する。しかしながら右の規定は安全交通の建前上車馬または軌道車の通行順位を一応定め、規定違反の所為に対しては罰金または科料の制裁を以て臨んでいるのであるが――従って本件において佐々木については既にこの法規を無視した点において過失が認められるであろうが――そうかといって広い道路に在る先行順位の運転者に対し運転上必要な注意義務を免除し常に一時停車の要もなく減速すべき義務もないとしたものと解すべきではない。いかに先行順位にある者といえども右法規を無視して進行路上に侵入した車(このような車馬のあるべきことは通常予想されることである)に対してはたとい故意にではないにしろ衝突させてよいという道理はないのであって、かような交通法規を守らない車馬との衝突もこれを避止する為警笛吹鳴、減速乃至一時停車をなしうるよう注意すべき義務があるものというべきである。論旨の見解は道路における危険防止及びその他の交通安全を図ることを目的とする道路交通取締法の法意に反するもので一般常識上からもとうてい容認し得べきことではない。従って原判決が被告人に対し原判示の自動三輪車運転上の注意義務違反の責任を問うたことは不能を強いるものではなく、また刑法上いわゆる期待可能性の理論に戻るものでもない。以上説明したとおりで、本件においては相手の佐々木についても過失の責任のあることは免れないが被告人にも過失の責任があり、両者の競合によって本件の衝突が発生したのであるから、この衝突によって被告人が車外に投げ出され、無人となった自動三輪車が暴走して原判示の如く小笠原六郎に衝突して傷害し死亡するに到らしめたものである以上、同人の死亡はやはり右被告人の過失に基因するものといわなければならない。